後悔 2024.6.30
振り返れば不甲斐ない悲壮の対戦を繰り返していた。安藤監督の熱心な指導のもとで毎日の厳しい練習に耐えてきた。東海大三からの推薦を断り染谷への進学へ向けて受験勉強が始まった。染谷のバレー班は健祥先輩を筆頭にして県内の名門になっていて意地でも進学したくて受験勉強を頑張った記憶がある。羽田主将と共に健祥先輩に挑んだ五中戦は惨敗ではなく記憶に残るものだったらしい。中学最後の大会は最も相性の悪い西部に負けて終わってしまった。どうせなら小布施にでも挑んで終わりたかった。今だったら安藤監督の指導に応え小布施に勝つくらいの気持ちで部活を楽しめたのにと深い後悔を残している。部活にしても何にしても頑張れば報われるものではないが厳しかった部活動は今の自身を形成する貴重な財産になっています。小野とは高校でも共にバレーができる。関とは親友みたいに仲良くしてもらったね。最後まで残った8人と後輩達との苦しかった塩田中学バレー部での日々は誇らしいものです。
染谷丘 2024.6.6
高校三年夏の最後の大会は清々しく終わることができた。受験勉強のため東京での夏期講習が始まる。毎日の練習で偏に極めたビークイックのように美術に於いても努力を重ねようと思っていた。県の覇者だった岡谷工業高等学校との試合の記憶は忘れることはない。怪我で試合に出られなかった徹にも笑顔が見られて悔いのない試合だったことを物語る。岡谷の高いブロックであっても染谷丘の攻撃を止めることが無くセッター佐野の巧みなトス回しには感謝しかない。岡谷のキャプテン堀之内との塩田中の頃からの因縁もここに再び刻まれた。そして9月1日闇の霧は深い試練の始りを暗示した。ツチヤの御かげで卒業はできたけど大学受験は断念せざる終えなかった。深すぎる絶望の時期を迎えもう希望など抱けなかった。卒業式へは参加できたけど変わり果てたこの眼差しに春の季節は新たな学びを与えることになる。
遠征 2024.5.3
決勝戦の空気はオーディエンスが造り上げる心地よさがあり気持ちが入る。冬の時代のエースヒロにエースポジションを譲り俺は裏エースを努めた。対する浜松市のレシーバーの眼の前にバックアタックを叩き落とし試合が始まる。大会の前に上田市の監督が俺に復帰を求めて土下座しに来たと言った数カ月前を経て此処まで勝ち進み本望だったと言ってくれた。マイナーな競技ではあったが今思えば感動的なシーンが沢山あった。俺に最後まで付いてきてくれた3番とは勝敗の美学みたいなものも共にしてこれた。北信越代表と東海代表の対決はここで終わるが今でもメダルはチェストにしまってあります。静岡に始まり岡山、新潟、秋田、大分そして岐阜の地で最後だったが思い出は深くこの心身に残してあり青年期の涙です。